2014年07月03日

鋼の錬金術師

『鋼の錬金術師』は、荒川弘による漫画作品。『月刊少年ガンガン』にて、2001年8月号から2010年7月号まで連載された。2003年と2009年の2度、異なる形式でアニメ化されている。

この作品の舞台は近代ヨーロッパ風の架空世界だが、登場する「錬金術」はヨーロッパで研究された本物の錬金術と異なり、いわゆる魔法のような技術である。ただし等価交換という制約下でのみ可能となるため、無から物質やエネルギーを生み出したり、飛行や瞬間移動をしたりするようなことはできない。
この等価交換という制約により、本作品は精神的な意味でオリジナリティの高い作品となっており、他のファンタジー作品とは大きく一線を画している。

2003年に制作されたアニメ版の『鋼の錬金術師』では、毎回オープニング曲に先立って次の説明がなされるが、これは『鋼の錬金術師』をみごとに要約している。

「人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。
 何かを得るためには、それと同等の代価が必要になる。
 それが、錬金術における等価交換の原則だ。
 その頃僕らは、それが世界の真実だと信じていた・・・」

物語の冒頭で主人公の少年は「錬金術」における禁忌を犯し、その代償として右手と左足、弟の体を失う。
彼は罪人であることを自覚しながら、失ったものをとり戻すための長い旅に出る。そして、多くの仲間たちと敵たちに出会う。


環境倫理的な視点で見るなら、
等価交換は平等という概念に似ている。
それは現代哲学で語られる平等とは意味がややずれるが、私たちが素朴な意味で使用する平等は等価交換とほぼ同義だと思う。

例えば、何の犠牲もなく自由に望むものが得られる人がいたり、特別な理由もなく商品に代価を支払わない人がいたとしたら、社会における平等性は低下する。人種差別や男女差別は、平等だけではなく等価交換をも破壊する。

また、血のにじむような努力をした人が何かに成功するとき、多くの人はその事実を心地よく感じる。努力をしない人が何かに成功した時、多くの人は釈然としない不平等さを感じる。

人から助けられた時、自然の恵みを受けた時、人は何らかの形でそのお返しをしたい衝動に駆られるが、これも等価交換や平等の現れであろう。

でも、等価交換や平等は世界の真実だろうか?

確かに、この物語で指摘されるように、化学の質量保存の法則は等価交換の様相を示す。
一方、生物の世界では、優秀な遺伝子を持つものたちが、そうではないものたちよりも、より多くの食料を得て、より多くの子孫を残す。
それが生物学の指し示す厳然たる事実。

人の世界では、動物よりも努力がより大きな意味を持つけれども、優秀な遺伝子を持つものが生存により有利であるのは同じだ。

したがって、等価交換や平等が世界の「事実」とは言い難い。

それでも、等価交換や平等が私たちの心に大きな影響を与え続けているのだとしたら、それは「事実」を越えたところにある大切な心の「願い」なのだろう。

そうした心の「願い」は「事実」よりも美しい、
私にはそう感じられた。


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(赤い服を着た人物が主人公のエドワード・エルリック。4巻右の黒服の人物たちが敵のホムンクルスであり、暴食、嫉妬、色欲などと7つの大罪(カトリックの教えの一つ)に由来する名前を持つ。暴食、嫉妬、色欲もまた精神的な意味では厳然たる「事実」である。)

   
タグ:荒川弘
posted by 道下雄大 at 13:24| Comment(0) | 漫画

2014年06月23日

Love the warz

SEKAI NO OWARIというグループの楽曲は今若者たちに大人気らしい。彼らの歌詞はいずれも深いが『Love the warz』の深さは異常だ。
(warzとはwarsのスラングであり、「Love the warz」は「戦争を愛せよ」を意味する。)




世界史を見渡せば、戦争によりいくつかの勢力が統一され、平和な時代が訪れることはよくある。この曲で歌われるように、実際、平和のためになされた戦争もあるのだろう。

しかし、平和になっても人々は幸せになるとは限らない。

例えば、日本では、もはや戦争で殺されたり、飢えで死んだりする心配はほとんどない。医療や治安も比較的充実している。
なのに毎年約2万7千人ほどの自殺者を出し続け、人口当たりの自殺率は世界的にみて高い。

では、どうすれば人は幸せになれるのだろうか?

今の日本社会がこの問いに答えてくれることはない。
それは自分で答えるしかない問い。


一方、
日本には限らないが、平和になった国々の中で戦争ゲームが流行している。
それはRPGとよばれるコンピューターゲーム。
ゲームに登場する敵(主にモンスター)たちは悪の手先とされており、彼らを殺しても罪悪感に襲われることはない。むしろ快感を与えてくれる。彼らを殺し尽くせばゲームの世界の中に平和が訪れるという。

冷静に考えれば、悪の手先とはいえ、他者を殺して金銭や物を奪い続けるなんて見苦しい。
ゲームの世界のことだから倫理的問題は生じない。

でも、私はなぜこんな見苦しい行為に快感を感じているのだろうか?

私たちが戦争を強く嫌悪しているのは確かであり、戦争を二度と繰り返してはならないのも確かだ。
それなのに、私は心のどこかでは戦争を愛してもいる。

これはおそらく私だけに起こる心の葛藤ではない。

我々を取り巻く自然環境の中にも問題は潜んでいる。

例えば農業被害を与えるイノシシやサル、生態系を乱すブラックバスやセイタカアワダチソウに対して、私たちは「害獣」、「外来種」とレッテルをはる。

すると、
彼らを「退治」することがなぜか正義のように感じられてくる。そして、彼らを殺し尽くせば平和が訪れるかのような錯覚に襲われる。

もちろん、この錯覚は間違った感覚でしかない。
現実問題として「害獣」や「外来種」たちは倫理的に何も間違いを犯していないのだから。

そもそも自然保護では、「害獣」や「外来種」を殺すことが目的なのではなく、人の生活や生態系を守ることが目的なのだ。

害獣や外来種を殺すのは、その行為だけなら苦痛と悲しみを生むだけであるが、「大切な何か」を守る過程を経て正当化され、やがて正義とみなされる。

一方、「害獣」たちは私たち人間に何かのレッテルをはってはいないだろうか。人間は数千年も前から「害獣」たちの生息地を力づくで奪い、田畑や建造物を作り続けてきた。
私たち「侵略者」を滅ぼせば平和が訪れると考えていたとしても不思議ではない。

この曲で歌われているのは、以上のような問いだと思う。
そして、この問いに対する答えは人によりきっと違っている。
だからこそ、この問いを直視したい。


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「Love the warz」収録CD


タグ:sekai no owari
posted by 道下雄大 at 16:58| Comment(3) | 音楽

2014年01月20日

ソラノカナタ

『ソラノカナタ』はちめいどの楽曲であり、蔭山武史が作詞し中越雄大が作曲した。
ちめいどは中越雄介、雄大の兄弟2名によるアコースティックユニットであり、生きることの素晴らしさ、生命の大切さなどを味わい深く歌うことで知られる。ちめいどの楽曲はふつう雄介氏または雄大氏が作詞するが、この作品では筋ジストロフィーという重度の難病にある蔭山武史氏が特別に作詞している。

私はとあるきっかけで蔭山武史氏と親交を得て、彼の自宅を2度訪ねたが、常に人工呼吸器を身につけなければならない彼の生活の大変さは私の想像を絶していた。障害者や医療の問題に興味のある人は、彼の自伝『難病飛行―頭は正常、体は異常。』をぜひ読むべきだろう。

私は気になっていた。

彼のように自然と触れ合う機会が少なく、また壮絶な人生を歩む人物は、人生をどのように認識し、身の回りの環境に対してどのような想いを抱いているのだろうかと。

私はそのような人物と対話するのが好きだ。
でも残念ながら彼は口で対話することができない。
メールやFacebookでなら対話できるが、文章で哲学的な質問をすれば変な誤解を与えるかもしれない。自分の体調が悪かったこともあり、彼から遠ざかっていた。

でも、彼の想いの断片はこの作品の中にちりばめられていた。

『ソラノカナタ』では、青空というキャンパスに決してあきらめることのできない彼の夢が描かれる。その夢を支えるのは、かつて彼と死別した愛する仲間たちであり、現在集まりつつある多くの友人たちのようだ。

この曲の精神性で注目すべきは、環境に対するイメージが心境によって変化するさまを描いている点だろう。

ちめいどは「街の騒音さえも心地よく思えるよ」と歌うが、ひょっとしたらこのような感覚は誰にでも経験があるのかもしれない。

身の回りの環境に対するイメージや想いは人それぞれに異なっているが、同一人物でも心境によってさまざまに変化する。

そして、その心境による変化の程度は個人差が大きい。

私の場合では、それまで当たり前のように存在していた木々や草花が突然全く異なる存在として自分に迫ってくるのを感じた経験がある。それらの存在が私を圧倒し、何かが心の底に響いた。この経験は結果として私に民族植物学への道を歩ませる。

私の敬愛する森岡正博氏は、便器やコップ、歯ブラシなど様々な事物に対してこうした感覚を持ったことを『無痛文明論』第7章で吐露しながら、これに対して興味深い哲学的考察を行っている。

このような心境を人は気づき、さとりなどと呼ぶが、いずれにしてもかけがえのない大切な経験だ。
その瞬間、自己と環境の両者が精神的・哲学的な意味で変化し、響きあい、音色を奏でていく。

(文責:道下雄大)


【関連ページ】
ちめいど・オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/bchimeido/

蔭山武史(特定非営利活動法人もみの木)ブログ
http://ameblo.jp/kage35/

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蔭山武史『難病飛行―頭は正常、体は異常。』




posted by 道下雄大 at 22:02| Comment(1) | 音楽

2014年01月18日

魔法少女まどか☆マギカ

『魔法少女まどか☆マギカ』はシャフト制作、新房昭之監督、虚淵玄脚本によるアニメ。2011年1月から4月まで放送された。全12話。
魔法少女といえば楽しい子供向けの物語をイメージしがちだが、これは大人向けのシリアスかつ哲学的な美術作品というべきだろう。

作画は戦闘シーンとそれ以外のシーンで異なっており、戦闘シーンでは劇団イヌカレーのイラストによる不思議な抽象芸術空間が表現され、それ以外のシーンではアール・ヌーヴォーを彷彿とさせる自由曲線が巧みに描きこまれている。どちらのシーンでも非日常的な印象が強く、しばしば自我が薄れゆくような陶酔感を生み出す。

一方、この作品は「願い」をテーマとした深い精神性も描いており、非日常性の中に精神的リアリティが立ち現れる。

登場人物たちは、一つだけ願いをかなえてもらう代償として魔法少女になる契約を結ぶ。
その願いは、たとえ宇宙の法則を捻じ曲げるようなものであっても問題なく、契約時に瞬時に実現する。

人は誰でも多くの願いを持っている。

それゆえに人はさまざまな努力を重ねてゆくが、その努力が実を結ぶこともあれば、実を結ばないこともある。

でも、もし一つだけ願いを瞬時にかなえてもらえるとしたら、あなたは何を願うのだろうか?

その願いをかなえてもらったとして、あなたは本当に幸せになるのだろうか?

物語の登場人物たちは、こうした問いかけに心を悩ませ、それぞれが一つの決断を下していく。

個人的には物語の流れがやや強引で現実味に欠ける点が残念だが、高い芸術性と精神性が同居したこのアニメはまれな良作品だと思う。

ところで、
「願い」は現在の環境倫理学ではほとんど考慮されていないが、それは環境倫理との関連が薄いからでは決してない。

例えば、自然のあるべき姿は人により異なり、それらの違いにより「自然に人手を加えるべきかどうか」など思想的な対立が世界各地で生じている。これはつまり「自然がこうあって欲しいという願い」が人それぞれに異なることを意味する。

では、自然に対してどのようにあって欲しいと、私は願うのだろうか。

雷、暴風、害獣、害虫、有害雑草、病原菌などは一切存在せず、生物は例外なく人に対して従順であり、人にとって予想外の出来事は何一つ起こらず、自然災害への備えが全く不要になるぐらい安全な自然の実現が可能であったとしたら、私はそれを願うだろうか。
(もし宇宙コロニーが実現するとしたら、そのような自然が組み込まれるのかもしれない)

あるいは宇宙の法則を捻じ曲げて、すべての生物を不老不死に変え、動物の殺処分や出産を不要なものにできるとしたら、私はそれを願うだろうか。

いずれにしろ「願い」は自然だけでなく、さまざまな存在の根幹を揺さぶり続ける。

『魔法少女まどか☆マギカ』のエンディング曲「Magia」は、その「願い」が凝縮されている。この曲は深い精神性と芸術性を兼ね備えた傑作だ。

(文責:道下雄大)


【関連ページ】
公式サイト
http://www.madoka-magica.com/tv/

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(イラスト中央は主人公のまどか。人物イラストだけは他の魔法少女作品に似る)


エンディング曲「magia」


posted by 道下雄大 at 16:44| Comment(1) | アニメーション(アニメ)

2014年01月16日

フランドン農学校の豚

『フランドン農学校の豚』は宮沢賢治の短編小説。宮沢賢治の死の1年後である1934年に発表された。豚の視点から畜産を描いた異色の作品であり、農林学校を卒業し、農学校の教師を務めた宮沢賢治の経験が生かされている。

この物語の舞台では、家畜自身から死亡承諾書をとらなければ家畜を殺してはならないという法律が施行されており、環境倫理学的にみれば驚異的な先進社会だ。といっても未来世界を描いたわけではなく、宮沢賢治の時代とほぼ同じ文化レベルにある王国が舞台である。

このように動物の権利を認める法律が施行されたとしても、家畜に対する差別がなくなるわけではない。家畜生産者は、家畜に対して育ててやったことを恩にきせ、死亡承諾書を認めざるをえないような環境を作り出していく。

このような人と家畜との関係は、性別や人種などの差別を後押しする論理構造とほぼ同じであり、ドキッとさせられる。

人以外の生物の視点から世界を見つめ直して、視野を広げたいという方は、ぜひご一読を。

(文責:道下雄大)


【関連ページ】
青空文庫・フランドン農学校の豚
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/4601_11978.html
タグ:宮沢賢治
posted by 道下雄大 at 14:03| Comment(0) | 文学