2014年06月23日

Love the warz

SEKAI NO OWARIというグループの楽曲は今若者たちに大人気らしい。彼らの歌詞はいずれも深いが『Love the warz』の深さは異常だ。
(warzとはwarsのスラングであり、「Love the warz」は「戦争を愛せよ」を意味する。)




世界史を見渡せば、戦争によりいくつかの勢力が統一され、平和な時代が訪れることはよくある。この曲で歌われるように、実際、平和のためになされた戦争もあるのだろう。

しかし、平和になっても人々は幸せになるとは限らない。

例えば、日本では、もはや戦争で殺されたり、飢えで死んだりする心配はほとんどない。医療や治安も比較的充実している。
なのに毎年約2万7千人ほどの自殺者を出し続け、人口当たりの自殺率は世界的にみて高い。

では、どうすれば人は幸せになれるのだろうか?

今の日本社会がこの問いに答えてくれることはない。
それは自分で答えるしかない問い。


一方、
日本には限らないが、平和になった国々の中で戦争ゲームが流行している。
それはRPGとよばれるコンピューターゲーム。
ゲームに登場する敵(主にモンスター)たちは悪の手先とされており、彼らを殺しても罪悪感に襲われることはない。むしろ快感を与えてくれる。彼らを殺し尽くせばゲームの世界の中に平和が訪れるという。

冷静に考えれば、悪の手先とはいえ、他者を殺して金銭や物を奪い続けるなんて見苦しい。
ゲームの世界のことだから倫理的問題は生じない。

でも、私はなぜこんな見苦しい行為に快感を感じているのだろうか?

私たちが戦争を強く嫌悪しているのは確かであり、戦争を二度と繰り返してはならないのも確かだ。
それなのに、私は心のどこかでは戦争を愛してもいる。

これはおそらく私だけに起こる心の葛藤ではない。

我々を取り巻く自然環境の中にも問題は潜んでいる。

例えば農業被害を与えるイノシシやサル、生態系を乱すブラックバスやセイタカアワダチソウに対して、私たちは「害獣」、「外来種」とレッテルをはる。

すると、
彼らを「退治」することがなぜか正義のように感じられてくる。そして、彼らを殺し尽くせば平和が訪れるかのような錯覚に襲われる。

もちろん、この錯覚は間違った感覚でしかない。
現実問題として「害獣」や「外来種」たちは倫理的に何も間違いを犯していないのだから。

そもそも自然保護では、「害獣」や「外来種」を殺すことが目的なのではなく、人の生活や生態系を守ることが目的なのだ。

害獣や外来種を殺すのは、その行為だけなら苦痛と悲しみを生むだけであるが、「大切な何か」を守る過程を経て正当化され、やがて正義とみなされる。

一方、「害獣」たちは私たち人間に何かのレッテルをはってはいないだろうか。人間は数千年も前から「害獣」たちの生息地を力づくで奪い、田畑や建造物を作り続けてきた。
私たち「侵略者」を滅ぼせば平和が訪れると考えていたとしても不思議ではない。

この曲で歌われているのは、以上のような問いだと思う。
そして、この問いに対する答えは人によりきっと違っている。
だからこそ、この問いを直視したい。


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タグ:sekai no owari
posted by 道下雄大 at 16:58| Comment(3) | 音楽

2014年01月20日

ソラノカナタ

『ソラノカナタ』はちめいどの楽曲であり、蔭山武史が作詞し中越雄大が作曲した。
ちめいどは中越雄介、雄大の兄弟2名によるアコースティックユニットであり、生きることの素晴らしさ、生命の大切さなどを味わい深く歌うことで知られる。ちめいどの楽曲はふつう雄介氏または雄大氏が作詞するが、この作品では筋ジストロフィーという重度の難病にある蔭山武史氏が特別に作詞している。

私はとあるきっかけで蔭山武史氏と親交を得て、彼の自宅を2度訪ねたが、常に人工呼吸器を身につけなければならない彼の生活の大変さは私の想像を絶していた。障害者や医療の問題に興味のある人は、彼の自伝『難病飛行―頭は正常、体は異常。』をぜひ読むべきだろう。

私は気になっていた。

彼のように自然と触れ合う機会が少なく、また壮絶な人生を歩む人物は、人生をどのように認識し、身の回りの環境に対してどのような想いを抱いているのだろうかと。

私はそのような人物と対話するのが好きだ。
でも残念ながら彼は口で対話することができない。
メールやFacebookでなら対話できるが、文章で哲学的な質問をすれば変な誤解を与えるかもしれない。自分の体調が悪かったこともあり、彼から遠ざかっていた。

でも、彼の想いの断片はこの作品の中にちりばめられていた。

『ソラノカナタ』では、青空というキャンパスに決してあきらめることのできない彼の夢が描かれる。その夢を支えるのは、かつて彼と死別した愛する仲間たちであり、現在集まりつつある多くの友人たちのようだ。

この曲の精神性で注目すべきは、環境に対するイメージが心境によって変化するさまを描いている点だろう。

ちめいどは「街の騒音さえも心地よく思えるよ」と歌うが、ひょっとしたらこのような感覚は誰にでも経験があるのかもしれない。

身の回りの環境に対するイメージや想いは人それぞれに異なっているが、同一人物でも心境によってさまざまに変化する。

そして、その心境による変化の程度は個人差が大きい。

私の場合では、それまで当たり前のように存在していた木々や草花が突然全く異なる存在として自分に迫ってくるのを感じた経験がある。それらの存在が私を圧倒し、何かが心の底に響いた。この経験は結果として私に民族植物学への道を歩ませる。

私の敬愛する森岡正博氏は、便器やコップ、歯ブラシなど様々な事物に対してこうした感覚を持ったことを『無痛文明論』第7章で吐露しながら、これに対して興味深い哲学的考察を行っている。

このような心境を人は気づき、さとりなどと呼ぶが、いずれにしてもかけがえのない大切な経験だ。
その瞬間、自己と環境の両者が精神的・哲学的な意味で変化し、響きあい、音色を奏でていく。

(文責:道下雄大)


【関連ページ】
ちめいど・オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/bchimeido/

蔭山武史(特定非営利活動法人もみの木)ブログ
http://ameblo.jp/kage35/

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蔭山武史『難病飛行―頭は正常、体は異常。』




posted by 道下雄大 at 22:02| Comment(1) | 音楽

2014年01月12日

天体観測

『天体観測』はBUMP OF CHICKENの代表曲の一つであり、BUMP OF CHICKENのボーカリスト兼ギタリストの藤原基央が作詞した。2001年リリース。2002年に放映された同名のドラマに影響を与え、その挿入歌として採用された。



この曲では、やや難解とも思える哲学的な歌詞で、天体観測という少年の日々の思い出を描いていく。難解なだけの歌詞であれば人々の共感は得られないが、この曲は一度聞くと不思議な共感を呼び起こし、なぜかもう一度聞きたくなる。『カルマ』もそうだが、藤原基央の天才的能力が発揮された作品の一つといえる。

知識の少ない子供にとっては何もかもが新鮮だ。「見えないモノ、知らないモノ」を見ようと夢中になるのは、ひょっとしたら誰にでも懐かしい思い出なのかもしれない。

この曲で天体観測という言葉はやや比喩的な意味で使用されており、「見えないモノ、知らないモノ」であれば、観測する対象が違ってもこの曲の本質に違いは生じないだろう。森に潜む動物、野原を彩る草花、台風の後の水溜り、街を白く染める雪など、自然を対象として観測・観察するなら、人はこれを自然体験と呼ぶ。

私がこの曲を始めて聞いた時、私の過去の自然体験とこの曲のイメージがつながっていくのを感じたが、みなさんはどうだろうか。

少年たちは身近な環境と関わりあいながら成長していく。
かつて自分が環境から学んだ大切な何かを再確認できるのなら、この曲の環境倫理的な価値は高い。
このような目的でこの曲を楽しむのも有意義だろう。

でも、この曲が本当に伝えたいのはそんなことではないらしい。

かつて天体観測をするとき、そこには仲間たちがいた。
そして、仲間たちは「予報外れの雨に打たれ」るなどつらい経験をしたが、未熟な自分は彼らを救えなかった。

この曲の最後でBUMP OF CICKENは、天体観測の仲間がいないにもかかわらず、「『イマ』というほうき星 君と二人追いかけている」と歌う。

過去を乗り越えるために、イマすべき何か、
「ほうき星」とはその何かなのかもしれない。


注)ときに勘違いされることがあるが、この曲は作詞者の藤原基央が述べたとおり恋愛を描いた曲ではない。歌詞の詳しい意味を知りたい人は、下記「くりごはんが嫌い」の記事をどうぞ。
以上の考察は「くりごはんが嫌い」の記事の助けを借りる部分が大きい。「くりごはんが嫌い」の作者であるkatokitiz氏に深く感謝申し上げる。

(文責:道下雄大)


【関連ページ】
『天体観測』の歌詞を分析するその1(ブログ「くりごはんが嫌い」より)
http://d.hatena.ne.jp/katokitiz/20081205/1228460060

『天体観測』の歌詞を分析するその2(ブログ「くりごはんが嫌い」より)
http://d.hatena.ne.jp/katokitiz/20081206/1228540626

『天体観測』の歌詞
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND12811/index.html

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『天体観測』収録CD

タグ:BUMP OF CHICKEN
posted by 道下雄大 at 18:44| Comment(0) | 音楽

2014年01月10日

カルマ

『カルマ』はBUMP OF CHICKENの楽曲であり、BUMP OF CHICKENのボーカリスト兼ギタリストの藤原基央が作詞・作曲した。2005年リリース。



この曲は哲学的に深い世界観で描かれたロールプレイングゲーム『テイルズ オブ ジ アビス(TALES OF THE ABYSS)』の主題歌として発表され、このゲームの哲学的エッセンスがみごとな形で凝縮された作品である。近年のゲーム音楽は驚異的な芸術性の高さで人を圧倒させることがあるが、これはその代表的例といえる。ゲームに興味のない人もぜひ一度は聴いて欲しい。
なお『テイルズ オブ ジ アビス』は2008年にアニメ化され、この曲はそのオープニング曲としても採用された。

カルマはサンクリット語で行為を意味するkarmanに由来する言葉であるが、やがて仏教などの教えで使用されるうちに、因果応報をもたらす行為の意味で使用されるようになった。

生物として生まれれば、必ず自分の肉体はどこかの空間を占領し、その空間を巡って他の生物との関わりあう。
だから我々は自ら死を選ばない限り、他者に対して何かの行為をなす。

他者と戦い、他者を追い出し、他の生物を死に追いやり、手が汚れていく。
その結果、数々の悲しみや憎しみ、愛情などが生じ、さらなるカルマとしての行為を導いていく。

たとえ宗教を信じていなくても、カルマは冷酷な形で我々の人生にのしかかり、生き方を左右していく。

これは人と自然との関わりあいでも同じだ。
人が集まれば、大なり小なり自然破壊という行為がなされる。
例えば、あなたが住んでいる建物は、誰かが自然を破壊してくれた行為の結果として存在する。
そしてその行為は、自己と自然の双方に何らかの結果をもたらし、自己と自然とを共に変化させていく。

カルマとはどこか遠くにある神秘的な概念では決してなく、私の体の中に濃密な感覚を刻んでは深層意識の中に沈んでいく誰にでも身近な存在だ。

なお『テイルズ オブ ジ アビス』ではしばしば予言の形でカルマが表現されるが、それはカルマの一形態にすぎない。むしろ親と子の関りあい、友人どうしの関りあい、敵どうしの憎しみあいなどがこの物語の中心となるカルマであり、それらカルマは主要人物たちの心を激しく揺さぶり、結果として血縁やレプリカ(クローン人間の意味)を乗り越える結果をもたらす。カルマ同士が激しくぶつかり合う情景こそがこの物語の哲学的本質であろう。

カルマは多くの悲しみをもたらす。
これは『カルマ』の歌詞にも歌われている通りだ。

でも真に大切なのは悲しみじゃない。

カルマは「同じ鼓動の音を目印にして」互いの存在を感じあう結果をもたらす。
その感じあう行為の中に、大切な「何か」があると『カルマ』は示唆する。

BUMP OF CHICKENは「知らなきゃいけない事はどうやら1と0の間」と歌う。

では、1と0の間にその大切な「何か」はあるのだろうか。

環境倫理学で必要とされる二項対立の克服を意味しているようにも聞こえるが・・・

この先の解釈は、人それぞれに違っている方がいいのだと思う。

(文責:道下雄大)


【関連ページ】
『カルマ』の歌詞
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND35144/index.html

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posted by 道下雄大 at 18:40| Comment(0) | 音楽