2014年01月18日

魔法少女まどか☆マギカ

『魔法少女まどか☆マギカ』はシャフト制作、新房昭之監督、虚淵玄脚本によるアニメ。2011年1月から4月まで放送された。全12話。
魔法少女といえば楽しい子供向けの物語をイメージしがちだが、これは大人向けのシリアスかつ哲学的な美術作品というべきだろう。

作画は戦闘シーンとそれ以外のシーンで異なっており、戦闘シーンでは劇団イヌカレーのイラストによる不思議な抽象芸術空間が表現され、それ以外のシーンではアール・ヌーヴォーを彷彿とさせる自由曲線が巧みに描きこまれている。どちらのシーンでも非日常的な印象が強く、しばしば自我が薄れゆくような陶酔感を生み出す。

一方、この作品は「願い」をテーマとした深い精神性も描いており、非日常性の中に精神的リアリティが立ち現れる。

登場人物たちは、一つだけ願いをかなえてもらう代償として魔法少女になる契約を結ぶ。
その願いは、たとえ宇宙の法則を捻じ曲げるようなものであっても問題なく、契約時に瞬時に実現する。

人は誰でも多くの願いを持っている。

それゆえに人はさまざまな努力を重ねてゆくが、その努力が実を結ぶこともあれば、実を結ばないこともある。

でも、もし一つだけ願いを瞬時にかなえてもらえるとしたら、あなたは何を願うのだろうか?

その願いをかなえてもらったとして、あなたは本当に幸せになるのだろうか?

物語の登場人物たちは、こうした問いかけに心を悩ませ、それぞれが一つの決断を下していく。

個人的には物語の流れがやや強引で現実味に欠ける点が残念だが、高い芸術性と精神性が同居したこのアニメはまれな良作品だと思う。

ところで、
「願い」は現在の環境倫理学ではほとんど考慮されていないが、それは環境倫理との関連が薄いからでは決してない。

例えば、自然のあるべき姿は人により異なり、それらの違いにより「自然に人手を加えるべきかどうか」など思想的な対立が世界各地で生じている。これはつまり「自然がこうあって欲しいという願い」が人それぞれに異なることを意味する。

では、自然に対してどのようにあって欲しいと、私は願うのだろうか。

雷、暴風、害獣、害虫、有害雑草、病原菌などは一切存在せず、生物は例外なく人に対して従順であり、人にとって予想外の出来事は何一つ起こらず、自然災害への備えが全く不要になるぐらい安全な自然の実現が可能であったとしたら、私はそれを願うだろうか。
(もし宇宙コロニーが実現するとしたら、そのような自然が組み込まれるのかもしれない)

あるいは宇宙の法則を捻じ曲げて、すべての生物を不老不死に変え、動物の殺処分や出産を不要なものにできるとしたら、私はそれを願うだろうか。

いずれにしろ「願い」は自然だけでなく、さまざまな存在の根幹を揺さぶり続ける。

『魔法少女まどか☆マギカ』のエンディング曲「Magia」は、その「願い」が凝縮されている。この曲は深い精神性と芸術性を兼ね備えた傑作だ。

(文責:道下雄大)


【関連ページ】
公式サイト
http://www.madoka-magica.com/tv/

amazon
(イラスト中央は主人公のまどか。人物イラストだけは他の魔法少女作品に似る)


エンディング曲「magia」


posted by 道下雄大 at 16:44| Comment(1) | アニメーション(アニメ)
この記事へのコメント
この作品は、3話で残虐なシーンが出てくるとBPOで物議を呼び、それで存在を知り、放送終了後、レンタルで全話観て、本当に傑作だと思いました。BPOは何を問題にしたのでしょう。そして現在の放送局の自主規制も行き過ぎていますね。放送禁止用語というのも自主規制ですし、言論の自由を失いかねない危うさの上に成り立っていると考えます。私にとってはこの物語は自己献身とは?自己犠牲とは?を投げかける作品かと思いました。「鉄腕アトム」のように。アトムは最後、人のために太陽に突っ込みます。「人のために」何かをする、それは手紙を送るのと同じ原理で語られるものだと思いますよ。というのは、手紙とは一方的で自分の気持ちだけ閉じ込めた不躾で古典的なメディアですが、その人のことを考えている時間が詰まったものです。「人のため」には「自分の犠牲」が付き纏う。単純ですが明快な摂理かと感じました。いい作品だから、劇場版もせずに12話で終わってほしかった。
Posted by 山本京嗣 at 2014年04月29日 13:20
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