2014年01月15日

ビジテリアン大祭

『ビジテリアン大祭』は宮沢賢治の短編小説。宮沢賢治の死の1年後である1934年に発表された。

ビジテリアンとはベジタリアン(菜食主義者)のこと。ニュウファウンドランド島の山村に世界各地のベジタリアンたちが集まりビジテリアン大祭が開催される。そこにベジタリアン反対論者たちが登場してスリリングかつユーモラスな論戦を繰り広げる。

植物も動物と同じ生物なのになぜ植物を食べて良いといえるのか?

ベジタリアンでない人なら一度は疑問に思うであろう問いかけが次々と登場し、それらの問いかけに対して理路整然とした答えが返されていく。

世界の食糧問題と菜食との関連に関する議論では、単位面積あたりでどれだけの人の食料が生産できるかを計算した話があり、現代の生態学におけるエコロジカルフットプリントの萌芽といえる考え方が示されている。80年前に発表された物語なのに、現代社会でも十分に通用する議論が描かれているのには本当に驚かされる。さすがは宮沢賢治だ。

宮沢賢治がベジタリアンだったことを知っている者にとっては、この論争の結末は予想通りのようでいて、ちょっとした意外性もある。

ベジタリアンの人たちの考えを知ることができる楽しい物語の一つである。

ただし、環境倫理の視点からみると、宮沢賢治がベジタリアンを「菜食信者」とみなしている点は偏見であろう。

世界には菜食を推奨する宗教が多数あり、それら宗教の熱心な信者であればたしかに「菜食信者」だ。しかしそれら宗教の信者でなくても、無神論者であっても、ベジタリアンであることは大変多い。

例えば、明治維新以前の日本人たちはほぼベジタリアンで、肉は特別なお祝いや病気の時以外はほとんど口にしなかった。現在でも伝統的農業が営まれている村では、菜食と魚中心で生活する老人たちが多い。それはなぜなのか?

これは『ビジテリアン大祭』では答えることができない。
宮沢賢治は晩年にベジタリアンであることを止めたが、私が思うに、おそらく菜食を論理的に信仰していたせいでそうなったのだろう。論理的な信仰は、異なる論理の登場によって崩れ去る危険性がある。

『ビジテリアン大祭』の論理は、自然保護分野における生態系サービスの考えに似ている。それは論理的で説得力があるが、人と自然との関わりの中で育まれてきた人々の想いや喜びはそぎ落とされている。

ともあれ、現在の地球環境問題を理解するために、こうした考え方は役に立つものであり、『ビジテリアン大祭』は地球環境問題の大人向け入門書として価値があるのかもしれない。

(文責:道下雄大)


【関連ページ】
青空文庫・ビジテリアン大祭
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2589_25727.html

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タグ:宮沢賢治
posted by 道下雄大 at 17:48| Comment(0) | 文学
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