2013年12月20日

進撃の巨人

2013年に最もヒットしたアニメといえば『進撃の巨人』。
強大な敵に勇敢な主人公が立ち向かう物語といえば、よくあるバトルアニメ(戦いが物語の中心となるアニメ)の一つともいえるが、個々の人物の精神的内面がこれほどまでリアルに描かれるアニメは他に例を見ない。絶望と希望の狭間で人は何を悟り、どう行動するのか、考えさせられる。

他のアニメであれば極悪人が突然善人になったり、戦いには適さない異常な服装や髪型をしていたり、どう見ても高齢なのに10代の学生という設定だったり、視聴者受けを狙った現実味に欠ける設定がありがちだが、この作品にはそのような非現実性はほぼ皆無である。
戦いの衣装、動き、戦術、旗(自由の翼)などの一つ一つに洗練された機能美が備わっており、進化の歴史の中で育まれた生物の美に通じるものが感じられる。そうした機能美の上に登場人物たちの熱い想いが重ねられ、物語のリアリティがが異常なほど高まっていく。この精神性を含めて現実を直視する姿勢は広義の環境倫理としても評価できる。
なお、25話まで連続放映されたアニメなのに絵と音楽はジブリ並みの優秀さだ。

この作品の精神性で注目すべきは「世界の残酷さと美しさ」がテーマになっている点だろう。嗜好品として人を食する巨人の残酷さと弱い他人や動物を殺す人の残酷さが対比的に描かれる。つまり、単純に敵が悪いとみなすのではなく、自分を含めて醜い部分と美しい部分とを共に直視する姿勢を示す。

この姿勢は現代の都市化された人類が失った精神性の一つであり、自然と密接に関わりあいながら生活する人々の間では当たり前のことであった。我々は他の生物の命を奪わなければ生きていけない。そんな当たり前の現実から目をそむけて、自分の心を痛めずに生活することを可能にしたのが現代文明のシステムだ(詳細は森岡正博『無痛文明論』参照)。

オープニング曲「紅蓮の弓矢」では、敵から目をそむけて壁で守られることに満足する人々を家畜の豚に例える歌詞があるが、それは現代文明という壁の中で誰かよく知らない他者が食料やライフラインを維持してくれていることに満足し、それ以上思考しようとしない私の姿そのものでもある。

現代社会で主人公のエレンのように生きることは、社会のシステムを問い直す行為であり、リスクが大きく、場合によっては反社会的行為とみなされるかもしれない。
それでも、エレンの生き方に惹かれるのはなぜなのか、考えてみる価値はあるのではないだろうか。

(文責:道下雄大)


【関連ページ】
TVアニメ「進撃の巨人」公式サイト


タグ:進撃の巨人
posted by 道下雄大 at 14:17| Comment(1) | アニメーション(アニメ)
この記事へのコメント
エレンが闘う理由は2つあると感じています。一つは、現状の安寧を『家畜みたいじゃないか』と考える少年の心。誰しもシステム化された社会の歯車にはなりたくないという反抗心がありますね。チャップリンのモダンタイムスのように。第二は愛する母を殺された憎しみ。心の重荷より重たいものはない、というのは私の祖母の教えですが、彼は自分の非力故守れなかった愛すべき存在のため闘う覚悟をするのでしょう。私は、後者の理由で基本、人と争います(笑)
Posted by 山本京嗣 at 2014年04月29日 13:34
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